2013年2月22日金曜日

神戸マラソン その4

09:00。さて、ようやくスタートです。
フルマラソンが。

号砲と共に18,000人が一斉に走り出します・・・・18分ほどかかって


そして、2,000人のクォーター出走者がようやくスタートラインに進み・・・そこからセレモニーです。


(「前振りが長すぎじゃ」と思った方。正解です。もういい加減こっちも突っ込み疲れてきました


舞台上でQちゃんが挨拶をしています。
みんな「キャ〜♪」なんて手を振ってますが、自分の視線はそのとき全くの別方向に向いていました。
(あ、別にQちゃんに興味がないわけじゃないです)


そうです。我らが元・阪神タイガースの矢野輝弘氏がすぐ横にいたんです。


関西ローカルの番組企画でクォーターを走る、ってのを3日前に知ったんですが、まさかこの距離でお目にかかれるとは。幸いというか、自分以外ほとんどの人が気付いていません。

ためしに手を振ってみます。
するとあちらも気が付いてにこやかに手を振り返してくれるではないですか!!


もー満足です。神戸マラソンに参加した甲斐がありました。
うらやましいでしょう? Y部長。
ありがとう!神戸!おつかれさま!神戸!!
そしてガンバレ阪神タイガース!!

・・・と言いたいトコなんですが、まだ出走前。いい加減にしろ。






・・・
09:30。号砲が鳴り、クォーターマラソンが「本当に」スタートしました。
(ここからは文章中心です。当たり前ですが、写真撮ってるヒマないんで)


なんだかんだ書いてますが、気持ちを切らさないように1時間を過ごしてきた成果か、まずまずのスタート。ただ人が多すぎてまともに走れない。コケないよう細心の注意を払いながら、人の合間を縫うことに集中します。


市役所横を曲がって、1km地点の神戸大丸前を通過。
すぐ横を矢野さんが走ってます。握手を求めようかと迷いましたが、あちらはTVスタッフに囲まれて番組企画進行中。何よりこちらも走り出したら気持ち的に余裕もなく、チラチラと目を合わせただけの不審者のような動きに留まってしまいました。

スンマセン、矢野さん。あのときのデカブツは私です。



2km地点。中央郵便局横を過ぎ、湊川神社前へ。
ここにはうちの嫁と子供、姉弟が応援で待ち構えてました。

弟に気付き、子どもに手を振って、一瞬のうちに通過。


ここから5km地点までは何もナシ。同じようなスピードの「即席ライバル」を見付けながら、だだっ広い大通りを無心で走り抜けました。


ちなみにこの途中に「水木しげる」のペンネームの元になった水木通があります。
使えないムダ知識をあなたに。


5〜6km地点間。今回のコースの中で最も自分の実家に近い御蔵通を通過。
両親が見に来てたそうですが、お互い全く気付かず。
来るなら来るって言ってよ。


この辺りから、他のランナーを避けるように道路のスミを走っていたせいか、沿道の方達の応援が近くなります。よく見ると、結構手をかざしてくれる。
思わずハイタッチ! これは気持ちイイ!!


特に子どもさんからハイタッチを求められると、快感!!これは止められん。
調子に乗って「手ぇ出して!」なんて声掛けながら走る余裕も。


6km地点を通過して、鉄人に見守られながらJR新長田駅前を通過。




ここから約2kmにわたってJRの側道を駆け抜けます。
道路が狭くなる分、ランナー同士が混むため足下が危なっかしくなりますが、ハイタッチの回数も増える増える。た~のしぃ~

・・・とかやってたら、前の人と思いっきりぶつかりました。申し訳ない。



さて、そろそろ大詰め9km地点。
須磨の海岸に出る天神橋に差し掛かったところ、後方から他のランナーとは明らかに異なる靴音が。
と。ゆったりとした感じながら、あっという間に自分の真横をすり抜ける白いジャージ。

ロンドン五輪日本代表の山本亮選手でした。

残り1.5km。彼についていこうと決めるものの、なんかすり抜け方が違う。
するするっと離されていき、数百mも行かない間に視界から消えていきました。

・・・やっぱプロは違うね。
(後で聞いたら、自分より後ろでゴールしてたらしいです。声援に応えてたんでしょうね)



気を取り直して、山陽須磨駅を通過。残り500m。
先ほど湊川神社前で応援してくれた家族も、すでにゴール前に移動し待ち構えてくれます。


混雑した中を抜けてフィニッシュ!
なぜかテンションが上がって、すぐ横でゴールした外人さんランナーと握手したり。


とりあえず、自己ベストを大きく更新して、無事ゴールしました。




・・・
後日、送られてきた完走証には、

119位 / 1841人中

とありました。残念ながら100位は切れませんでしたが、あくまで最初のマラソン。
しかもクォーター。無事、完走出来ただけでも満足です。


また、公式サイトには沿道応援者数は約557,500人であったとのこと。
自分はそのうち1/4から応援を受けたとして、約139,400人達の声援を背にしたことにお陰で最初から最後まで楽しく走ることが出来ました。
さらには大会前から大会中に至るまで、総勢7,500人のボランティアの献身的な協力があったことを忘れるわけにはいきません。


前々回に言った通り、「ただ走るだけ」は非常にメンドくさいという気持ちは今でも変わりませんが、今回の空気を味わうことが出来たことは2012年で有数の財産になりました。

ここにありがとうの言葉を添えさせていただき、今回の締めとしたい思います。




・・・
あ、2013年は11/17(日)だそうですよ。



2013年2月15日金曜日

神戸マラソン その3

さて。ようやく「神戸マラソン」本番の11月の話。


前日に神戸国際展示場で登録を済ませます。

ここは1号館でゼッケンを受け取り→2号館でスポンサーブースでランニンググッズを買い→3号館で記念グッズをもらう、と非常に広く展開されており、グルメゾーンと称する出店もあったため、その気になれば1日過ごすこともできたんですが、書いてたら長い上にオチも無かったんで省略。
あ、Qちゃんいました。




・・・
日は明けて。マラソン当日。

クォーターは09:30スタートですが、08:00までに荷物を預けたりしなければいけないため、07:00過ぎには中心街の三宮へ。
実家近くのバス停からすでに「いかにも走りに行きます」的なカッコウの方がちらほら。みんな速そう。バスの中で話しかけていただいたお母さんは、息子さんの伴走で前年に引き続きフルマラソンを走るそうです。スゲェ


手荷物を預け、ストレッチ。

皆さん黙々と集まってきます。出来る限りアップに時間をかけたいとこなんですが、スタート位置は早いモン勝ち。クォーターでも2,000人いるんで、後方スタートは何かとツライです。三宮の朝はビル街のため日陰も多くそれなりに寒いんですが、ガマンしてスタート1時間前には並ぶことにしました。



・・・ただ、ここから長い。

スターティングセレモニーで誰かの挨拶。見えん。
さらに、なにやら遠くで歌声が聞こえます。どうやら、被災地である神戸・岩手の高校の合唱部が復興の歌を歌っているようです。

何度も書きますが、自分はクォーター出走者。メインは18,000人にも及ぶフル出走者で神戸市役所前を埋め尽くしており(今google mapで調べたらフルの列は450mくらい延びてました)、クォーターは脇道で彼らのスタートを待つ身。
セレモニーは見えず。音も遠い。

日陰のビル風が徐々にカラダを冷やしていきます。きっといい歌なんでしょう。神戸生まれの自分には、そこに込められる気持ちもよく分かります。やや白い息を吐きつつ、ぐっとガマン・・・・

・・・(終了)




・・・♪〜
!!二曲目かい!! 思わず、見知らぬランナー数人から同時に突っ込みが。
この辺、さすが関西。

ちなみに合奏もありました。ハハ



最後に黙祷。
ランナー、スタッフ、ボランティア、沿道の方々が一斉に目を閉じ、空撮のヘリの音が遠くで響く中、神戸の街がキィンとした耳鳴りが聞こえるくらいの静寂に包まれます。このときばかりは、姿勢を正し、追悼の念を送ると共に復興への願いをマジメに込めました。

(余談ですが、この大会は東北の被災地からの参加者も多数おり、隣におられたご夫婦もこれを示すグリーンのリボンを付けていました。頑張れニッポン



ここでいったん区切ります。

次回、ようやく出走。

2013年2月8日金曜日

神戸マラソン その2

さて、前回の続き。今回はトレーニング編。
姉弟でただひとりクォーターマラソンに当選したところからのお話。


元々、入社以来「なにかあっても会社くらいまでには行けるように」とのコンセプトから、自宅←→会社間の約6kmは走れるようにしておこう、とランニングをしていました。
しかし、春先に始めるものの、夏に(忙しさにかまけて)中止して秋に再開出来ず。そのまま年末年始に脂をダラダラと蓄え・・・といったサイクルが数年来定着

しかも、2年前には一発奮起した新春早々に右足首の靱帯をプチッとやってしまい、これが元で腰痛にも悩まされることに。
今でも就寝前のストレッチは欠かせません(よくサボって翌朝後悔しますが)。

お陰で、一時期は入社時よりも10kg近く増量。会社のYさんより「太ったよね?」なんて言われショックを受けるも、思うように身体も動かずランニングも途切れ途切れ。心身ともにだいぶしんなりしておりました。



・・・そんな折、神戸マラソン当選のお知らせ。
これまでのリベンジを果たす大チャンス到来。受かったからにはやったるわい。


と言いつつも、基本的にはやることは変わらない。
変わったのは11月、つまりは5カ月後に目標が出来た事。


会社から帰って、食事をとり、子どもを寝かしつけてから(ちょっと消化を待ちつつ準備をして)スタート。
大体10時半くらいからでしょうか。いつも通りの6kmの距離を走り、帰宅後、資格の勉強を少しする生活を週3~4日のペースで続けました。

(正直、資格の勉強はかなりの確率で寝オチ。結果は言わずもがな)

苦手な8月は現場が重なったこともあり走れない日々が多かったんですが、続く9月には本番に備えて距離を6km → 10kmに。
最初は1時間以上かかっていたのが、徐々に短縮。ペースは週1程度に落としつつ、体力は順調に仕上がってきました。



・・・ここまで書くと、「コイツ走るの好きなんやなぁ」と思われるかもしれませんが、実のところ、全くの逆。↑のリハビリとダイエットを兼ねて、腰痛と足の怪我におびえながら、「しかたな~く」走ってるんです。

今でも、走りながら「今日くらい歩いたら??」なんて、自分の中の悪魔が耳元でささやきます。
ちょっと現場が立て込んだ後なんて、スタート直後から大きめの悪魔が付いてきて「近道してさっさと帰れば?」とかジツに魅力的なお言葉をくださるわけです。

これらのお誘いを丁重に断り、時に食べ過ぎた夕食の逆襲に耐えながら、来るべき11月を迎えました。





この間、姉に「走ってるか?」とメールしたところ、
「いやぁ~目標がなくなっちゃって・・・」だって。

やっぱりか・・・


2013年2月1日金曜日

神戸マラソン その1

2年ぶりにお鉢が回ってきまして。

今までは毎週毎週締め切り前になって「何を書こうか?」なんて無い頭を振り絞ってへろへろになってましたが、今回はいっそのことテーマを決めて書いてみようと思います。

というわけで、今回、いや今月はまるごと昨年11月に走った神戸マラソンのお話。


・・・
きっかけはGW帰省中、姉からの一言でした。

「神戸マラソン走らへん?」


は?

このとき「神戸マラソン」なるものがどんなものか知りませんでした。
次に出てきた言葉は「なにそれ?」やったと記憶してます。
しかも、広告業に勤め普段は運動らしい運動をしない姉の意外な一言。「なにそれ?」は神戸マラソンに向けられたのと同時に、「アンタが走るの??」の意味合いも含んでいました。

聞けば11月に開催予定のマラソン大会で、フルマラソンの他に、クォーター(1/4やから約10.6km)があり、こちらなら走れるんじゃないか?・・・と思って声掛けしたとのこと。5月下旬に締め切りがあり、もし受かったらトレーニングをしたい、と。

う~ん・・・正直、めんどくさい。しかも参加費\5,000て(フルは\10,000)。
同じくGWで帰省中の弟と顔を見合わせて、「そんなん無くても、今日から走れィ」と言い放って、この話を終了させました。基本、家族には口が悪いです。スンマセン


さて、GW最終日。岡山の家に帰り着いてから、それまで完全に忘れていた「神戸マラソン」のことをふと思い出して検索してみます。
公式サイト発見。結構大きい。てか、参加人数20,000人!!

ちょっとビックリ。イヤ、人数そのものもそうですが、そんなに集まるの?走るためだけに??1万円も払って???
しかも前年の競争率は3.7倍。約6.6万人が応募してきたってことですか??


・・・ちょっと興味が出てきました。

基本的にお祭り騒ぎは大好きです。参加できるならなおヨシ。
弟にメールして、「まぁ姉ちゃんにつきあってやるか」的なスタンスで参加表明。
とは言え、競争率からして姉弟3人でひとり受かればいい方。
てか、誰も受からん可能性も大いにアリ。
非常に軽い気持ちでエントリーしました。クォーターやしね。






で、その1カ月後。自分だけ当選。あわわわわわ



姉からメール「応援に回るんでがんばれ-」
・・・ナニちょっとほっとしてる感出してんねん。おまえも走れコンチクショイ。



てなわけで、人生初の都市マラソンに参加する事に。
次週はトレーニングのお話。

しかし、今回の競争率を後でネットで調べてみたら約4.2倍やったそうです。
よぉ当選したよなぁ~