2017年2月24日金曜日

熊本・大分地震

昨年の4月14日の夜、熊本を震源地とした地震(M6.5)があり、私の住む大分市でも震度4ぐらいのかなり揺れの大きな地震がありました。
普通の地震はそれが最大の揺れであとは余震ということで段々揺れが小さくなるのが一般的ですが、4月16日の1時すぎに今回は本震と呼ばれる大きな地震(M7.3)が発生しました。
大分市では震度5弱ぐらいだったでしょうか。それでもかなり強い揺れで家具等が倒れる寸前だったでしょう。
私の地震体験では、平成7年の阪神淡路大震災の際、岡山県に住んでいたのでその時が震度4程度だったと記憶しています。それ以来の揺れの大きな地震でした。
今回の地震で判明した熊本から大分にかけての活断層のラインをテレビ等で確認すると若いころ映画にあった小松左京原作の「日本沈没」の一場面を思い出しました。
復興割引などの支援で観光地の観光客も少し回復はしているようですが、被害の大きかった熊本県の益城町、熊本城をはじめ本格的な復興はこれからだと思います。
今後は、積極的に熊本へ旅行に行くなどの機会をつくり、出来ることで支援したいと思っています。

大分県で地震の影響が大きかった湯布院盆地(由布岳と久大線)

2017年2月17日金曜日

大相撲がおもしろい

 小学校低学年のころ、まだテレビが無かったのでラジオで「栃若」の全勝での千秋楽対決を聴き、興奮したことを微かに記憶しています。
 「柏鵬時代」に育った我々の子供時代は校庭や神社の広場に土俵の円を書き子供同士で相撲をよく取って遊びました。それから「輪湖時代」、「千代の富士時代」、「若貴時代」と大相撲人気は続いてきました。
 ところが、その後は外国人横綱時代が始まり、横綱の不祥事や八百長相撲事件など、大相撲も試練の時代があり今日に至っています。
 外国人横綱においても、日本人より日本人らしい品格や力量は十分あることは確かに認めますが、やはり何か割り切れない気持ちが正直私にはありました。
 それは、大相撲が日本古来の伝統文化であるからか、サッカーや野球の外国人選手とはまた違う何かを感じていました。
 そのような中、初場所、19年ぶりに全国の大相撲ファン待望の日本人出身横綱「稀勢の里」が誕生したことは大相撲ファンである私は大変嬉しかった。「19年間も日本人出身横綱が誕生していなかったのだ」と改めて驚きました。
 これまで、「稀勢の里」はここ一番にことごとく敗れ、ファンの期待を裏切ってきましたが今場所はそれを乗り越え、自信になったと思います。
 「稀勢の里」は実年齢より若いように感じます、これから大けがをしなければ大活躍が続くように思われるので、春場所から4横綱で切磋琢磨し、我々を楽しませてもらいたい。
 これからも大相撲を発展、継続させるためには日本人出身力士の活躍が喫緊の課題だと思いますので、今回の日本人出身横綱誕生に子供達が興味を持ち大相撲の裾野が広くなれば幸いです。

2017年2月10日金曜日

奥九州に行って来ました。その2

上椎葉の民宿に一泊しました。

次の日、それに合わせて訪れた訳ではなかったのですが椎葉村では「椎葉平家まつり」が開催されていました。
源氏に敗れた平家が山深いこの椎葉の地へ逃げ延び、源氏方の那須大八郎と平家方の鶴冨姫の悲恋の物語を歌った「ひえつき節」を聴きながら、「鶴冨屋敷」を散策しました。
まつりは、椎葉村総出(村役場の職員、消防署、郵便局、教員等)で開催されていました。

椎葉村には古くから伝わる相互扶助の精神に基づくコミュニティ維持のための大切な仕組みがあり、それを「かてーり」と云い、古来より人間と自然はお互いに生きる力を貸し合って共生してきた。また、厳しい生活環境の中でこの地の先人たちは、一家の枠を超えて地域の住民と相互に力を貸し合って生きてきたとのことで、それが少しの時間でしたが、肌で感じました。「結」の精神でしょうか?

天気もよく、会場には県内外から多くの人が集まり盛況でした。
私も田舎育ちなので、子供のころ、大人は農作業(田植え、稲刈り等)などの人手がいる場合はお互いに応援する習慣や味噌、醤油がない時は隣の家に借りに行ったことを懐かしく想い出しました。

2017年2月3日金曜日

奥九州に行って来ました。

昨年の11月の中旬、一度は訪ねたいと思っていた高千穂町や椎葉村のある奥九州の旅をしました。
高千穂郷・椎葉山地は、平成27年12月15日に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定されたとのことです。
丁度、紅葉の季節でしたが、平地では昨年の秋は外気温が高く紅葉には1週間程度早いような気がしました。
その様な中、高千穂町から椎葉村へ行く途中の五ヶ瀬町で昼食をとった際、店員の方が「紅葉のきれいな滝がある」とのことで、「この先に本当に滝があるのかな」と思われるような狭い林道を、「対向車に会わなければよいが」と思いつつ昇り詰めた所に滝があり、紅葉の写真を撮りました。
滝の名前は「白滝」とのこと。


数名のアマチュアカメラマンに現地で会いましたが、帰りの林道でも対向車に会わず椎葉村へ行くことが出来て良かった。

2017年1月27日金曜日

先週の通り、2016年は神戸マラソンに落選。
ただ現実は11月の出走を目指し、5月から申し込みと準備を進めてきたわけで。

・・・なんというかもったいない!
というわけで、初のおかやまマラソンに挑戦してきました。

現在の地元・岡山での開催。
当日、家から1時間足らずで移動出来、準備もラク。

・・・と考えてたら遅刻しかけました。あぶねー

県知事、スポンサー様からのありがたい話もあり定刻スタート。
とは言え、およそ17,000人がごったがえす中、やはり後列は10分ほど動けず。
その後も5km地点まではほぼ歩き。
アップも兼ねてゆっくりと身体を慣らしていきます。

そんな中、今回はこれまでの反省を活かしていくつか決めごとをしました。

1. 飛ばさない
お仕事の都合もあり特に今回は走り込み不足。
そうでなくても毎回後半足が止まり、序盤の貯金は役に立たない。
それよりずっと同じペースを守ることに集中。

2. エイド(給水・給食)は適量に
5時から起きて、レースが終わるのが3時前。腹は空きます。
ゼリーなども準備したのですが、沿道からの差し入れがとにかく嬉しい。(そしておかやまマラソンには全国的にも珍しいラーメンの屋台が出ます!)
 
こうやってぱくぱく食べておなかがいっぱい・・・というにも過去にありました。
 
 ガマンガマン

3. 日焼けしない
走っている間は結構服のスレが気になります。
それに暑がりということもあり、出来る限り長袖は避けたい。
ただ、何回か走ってみて「日焼けはけっこう体力とられる」ということに気が付きました。
 
それなら・・・ということで今回アームカバーを購入。
以前買ってあまり使っていなかったグローブとキャップも装備してみました。

前半。若干、飛ばしたい衝動に駆られつつも身の丈をわきまえペースを維持。
今までとタイム的には変わりませんが、11月とは思えない陽気の中、不思議なくらい気持ちよく走ることが出来ました。すぐ前を走っていた芸人Kさんとも握手を交わし、テンションもアップ。

・・・が、ここでひとつ問題が。

スタート時に遅刻したのは別に寝坊したわけではなく、トイレの長蛇の列に並んでいたから。そして、時間の都合上、結局この列を離れざるをえませんでした。

そうです、スタート前にトイレに行けなかったんです。

特にそれほど緊急を要するわけではなかったんですが、全体を見れば5時間以上の長丁場。
ふとした瞬間に気になりだすと意識はそちらへ。
・・・しかしみんな考えることは同じ。トイレはどこも行列。

25㎞地点でやや列の少ないトイレに入ることが出来ひと安心でしたが、残念ながらここからペースダウン。30㎞地点では5時間のペースランナーさんに追い抜かれ、近くを走っていたご近所さん夫妻にも先を行かれてしまいました。

そして、最大の難所と言われていた高低差17mの甲南大橋のたもとには先ほど紹介したラーメンの屋台が並びます。
しかも岡山が誇る名店が5店舗。
時間はちょうどお昼時。
いい香り。

・・・行列。

イカン、ここで止まったらもう走れん。
後ろ髪を引きちぎる思いで歩を進めることにしました。

その後、河川敷の緩い緩い登りにいたぶられながら岡山城を目指し、有森裕子さんの母校・就実高校を横に見ながらゴール前で待つ家族の元へ。


そして見事、自己ベストを大きく更新して完走。
全体的にフラットで非常に走りやすいコースであったこともありますが、今回は作戦勝ち。
この結果は、単純に体力勝負ではないことをマラソン4年目にしてようやく気付かされるものとなりました。

そして、今回も沿道で絶え間ない応援をしてくれた方々に深く御礼申し上げます。特に中間地点では、ぶどうやトマトなどを差し入れしてくれた農家のみなさんの笑顔が非常に印象的でした。ありがとうございます。

最後に30㎞地点でこっそり抜いていった芸人K!
次は負けんぞ、また来やがれコンチクショイ。

オッパッピー