2012年10月12日金曜日

夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。(枕草子・・・夏の1節)


夏の釣り

カンカンと照りつける太陽の下、ただ一人清流の川面にたたずみ静かに糸を垂れる釣り人が居ます。そう、日本古来の独創的な釣り「鮎の友釣り」であります。なんと風情のあることか。


鮎の一生

皆さんご存知のように鮎は年魚であり、10月頃河口近くで孵化して海で稚魚期を過ごします。3~4月になると川に遡上し、川の石の苔を食べて大きくなり、9月に入ると川を下り河口近くで産卵し、生涯を閉じるのです。

その最盛期の6~8月には川石に付いた苔を食べてドンドン大きくなります。このコケを食べるために縄張りを持ちます、この縄張りを利用して釣るのが「日本伝統の釣法 鮎の友釣り」であります。(いちゃ~~~、長かった。説明に疲れました。)

 石へのハミ跡です。よく磨かれています
 
 初期の頃の若鮎です



友釣り

小生がこの「友釣り」と出会ったのは○○年前です。当時は東京での勤めで、釣りと名が付くものは手当たり次第に首を突っ込んでいました。舟釣りでは房総の真鯛、ひらめ、イサキにイカまでも。磯釣り・防波堤釣りでは黒鯛やメバルなどです。家族とゆっくりする以外は魚釣り一本です(夜の魚を追う暇なんかは決してありゃ~~しませんでした)。

とある時、会社の先輩から「一緒に友釣りを始めてみないか」とのお誘いが・・・。小生は「もう今の釣りで十分です、お金も時間もありません」と答えたのです。ところが生来の魚釣り大好き人間、すぐ興味を持ちます。本を買い、雑誌を読み漁り、釣具屋巡りが始まります。
確か、数週間後には道具が全て揃いました(金の調達方法は忘れました・・・・・)。最初の河川は先輩との同行で「那珂川」へ行きましたが、素人が2人、当然坊主でした。

やる気・負けん気がフツフツと沸き、次週は単独で「酒匂川」へ釣行しましたが、イリコのようなのがたった1匹でした。ただ、生きた囮で生きた魚を掛ける。本当に「なんじゃ~、これは、こんなんで本当に掛るんじゃの~~~」と驚きを感じたのです。その次の週はまたまた単独での「久慈川」釣行となっていました。
釣り人(本人ではありません)


この川で病気を患ったのであります。そう「友釣り病」という病です。今でも鮮明に覚えていますが、二十数匹掛けました。一発で「病人」になってしまったのであります。
友釣りとは、元気な囮で野鮎を掛け、掛けた野鮎を囮にして、また新しい鮎を掛ける「循環の釣り」であります。
囮の操作方法が釣果を大きく左右します。魚が自分から泳ぐように差し向けるのです。中には小生のように言うことを聞かない囮がいます。辛抱します、決して魚の鼻面を引き回してはいけません、そんなことをすると益々いうことを聞かなくなります。待つのです(これが出来たら女房の操縦なんて・・・・・・・へのかっぱです)。

この釣りにはまってしまうと逃げ出せられません。そう、人は「友釣りは悪魔の遊戯」と呼びます。
この年の暮れ「家族との約束」をしました。「来年の6月から8月の休暇は全部鮎釣りをする。その代わり他の釣りは全部やめて家族サービスに徹する」と。

鮎につかれた病人が発生したのであります。
 

本日終了(奇麗な鮎です)