4回目。ラスト。
大学から乗り始めたバイク。気が付けばヘタなりにだらだらと20年以上乗り続けております。
25歳で大型免許を取得しお金を貯めて購入した愛機。
学生時代はどこに行くにもこれで移動し、名古屋の結婚式にはスーツをくくり付け、年末年始もこれで実家に帰省。下道や高速、あぜ道、砂利道などオフロードほどではないにせよあらゆる道を走り回り15年。距離にして6桁も見えてきた今も現役。
ここ数年はツーリングもめっきり減り主に通勤車として活躍してくれていますが、雨の日に電気系統が怪しくなったり、振動でネジが外れたりと小さなトラブルを抱えながらもほぼ毎日元気な音を響かせてくれます。
うん、ビューテホー
ところが。冬になると元気とは言えず。
原因は主にバッテリー。イロイロと電気部品を後付けしたせいか、短い距離ばかり頻繁に走るせいか毎回1年半ほどで調子が悪くなってしまい、朝方にエンジンがかからず慌てて車に乗り換えて出社、というのがこの時期の定番。
バイク自身が1981年発売開始の機種ともはや骨董品に近く、元々電気系統が弱点とも。
車では主流のインジェクションも付いておらずスタートセルを回しながら音を頼りにチョークを調整しエンジンをかけるのはなかなかテクニックを要します。昔ながらの開放式バッテリーを何度かMFのシールド式や新興メーカーのものに替えてはみたもののうまくいかず、結局純正に戻す作業も何度繰り返しました。充電をまめにすれば、とも思うのですがアパート住まいの我が家、ACケーブルを屋外に出すのも難しく・・・
結局、対処療法ではありますが、寒い朝は朝出発前の20分ほど前からエンジンをかけて暖気運転をすることに。ただ、アパートの前で朝のはよから
・・・・ボッ・・ボッ・・・バン!・・バン!バン!バン!ボボボボボン・・・
エンジンの暴発音が鳴るのは気が引けます。
ゴメンナサイゴメンナサイ
(一応、ご近所の方からは『気にしなくて大丈夫ですよ』とのお返事を頂いてます)
桜、鳥のさえずり、花粉・・・イロイロありますが、私にとってはこの音が無くなるのが春のサイン。もう少し。
さて、今年はどこを走ろうか。
2015年2月27日金曜日
2015年2月20日金曜日
ガチンコリレー
3回目。今回は短めに。
うちの子どもが通う小学校では、2年前から運動会でPTA対抗リレーが行われています。
その名も「ガチンコリレー」
『マジで全力で走ります。』の文字が光ります。
最初は流してたのですが、人が集まっていないとのことで嫁さんから[再募集]の紙を渡され渋々OK。おじさん足が不安なんですが。
・・・
運動会当日。聞いたら2チームで良かったのに、集まりすぎて3チーム分に。これに教員チームを加えて4チーム対抗になりました・・・オレいらんかったんちゃう?
子ども達の注目を浴びる中、選手入場。
横には6年生担任のY先生・・・がおサルさんの着ぐるみ。ノリノリですね。
・・・
競技スタート!おじさ・・・お父さん達が一斉に走り出します。
子ども達も一斉に歓声を上げ応援してくれます。少し赤(教員チーム)がリードし、先のY先生へ。いつの間にか着ぐるみ脱いで本気モード
・・・速っ!!
(後で聞いたら、当初着ぐるみのまま走るつもりやったそうですが、熱すぎて『死ぬかと』思ったらしい)
少し遅れてバトンを受け取り、必死に追いかけましたがグングン離されていく。
・・・そしてガス欠!アカ〜ン!
とりあえず最低限順位は守ってバトンを渡しましたがクヤシィ!
この後、50台のはずのM教頭先生がメチャクチャ速くてどよめきが。
そしてこのまま教員チームリードのままアンカーの校長先生が悠々ゴール・・・のはずが青チームのアンカー猛追で逆転勝利!予想外の大盛り上がりで幕を下ろしました。
・・・
同級生のお父さん、お母さんと参加賞持って記念撮影。
またやるぜ!
うちの子どもが通う小学校では、2年前から運動会でPTA対抗リレーが行われています。
その名も「ガチンコリレー」
『マジで全力で走ります。』の文字が光ります。
最初は流してたのですが、人が集まっていないとのことで嫁さんから[再募集]の紙を渡され渋々OK。おじさん足が不安なんですが。
・・・
運動会当日。聞いたら2チームで良かったのに、集まりすぎて3チーム分に。これに教員チームを加えて4チーム対抗になりました・・・オレいらんかったんちゃう?
子ども達の注目を浴びる中、選手入場。
横には6年生担任のY先生・・・がおサルさんの着ぐるみ。ノリノリですね。
・・・
競技スタート!おじさ・・・お父さん達が一斉に走り出します。
子ども達も一斉に歓声を上げ応援してくれます。少し赤(教員チーム)がリードし、先のY先生へ。いつの間にか着ぐるみ脱いで本気モード
・・・速っ!!
(後で聞いたら、当初着ぐるみのまま走るつもりやったそうですが、熱すぎて『死ぬかと』思ったらしい)
少し遅れてバトンを受け取り、必死に追いかけましたがグングン離されていく。
・・・そしてガス欠!アカ〜ン!
とりあえず最低限順位は守ってバトンを渡しましたがクヤシィ!
この後、50台のはずのM教頭先生がメチャクチャ速くてどよめきが。
そしてこのまま教員チームリードのままアンカーの校長先生が悠々ゴール・・・のはずが青チームのアンカー猛追で逆転勝利!予想外の大盛り上がりで幕を下ろしました。
・・・
同級生のお父さん、お母さんと参加賞持って記念撮影。
またやるぜ!
2015年2月13日金曜日
フルマラソン
2回目。今回はフルマラソンのお話。
2012年にクォーターマラソンを完走したのですが、それ以降は(前回のリレーマラソン置いといて)そこまでの情熱は湧き出てこず、忙しさもあってたまに夜中にランニングする程度に逆戻りしたある春の日。
少し魔が差します。
「もうちょっと長いの走ってみようか?」
この年の神戸マラソンに軽い気持ちでエントリーしました。
倍率も5倍前後(調べたら4.5倍)。前年当たっているだけに今回はムリだろうと若干高を括っておりました。ただ外れると恥ずかしいのでこの時点では誰にも言ってません。
・・・まさかの当選。
アカンアカン!やってもうた!どーするオレ?ムリムリムリ!
姉から「クォーター受かった~」とか脳天気なメールが。
知らんがな。こっちはそれどころやないっちゅうねん。
・・・
受かったものは仕方ない。やるしかない。
人間不思議と目標から逃げられないとなるとハラが固まるもんで。(未入金という手もありましたがせっかく当選したしね)
この日から5カ月かけてのトレーニングを経て、本番に挑むことになりました。
・・・
本番当日。
11月も中旬。周囲からの緊張感もあり雑踏の中にもキンとした空気が。
着替えを事務局に預け、前回は行かなかった市役所前へ。
ルミナリエの準備も進んでおり、今大会が震災復興の想いを乗せて開かれていることを再度思い出します。
予定通り9時スタート。甘い期待と大きな不安と共に走り出しました。
実は練習で20kmをほぼ2時間で走れるようになってきたこともあり、
「うまくいけば4時間半くらいで」
などと考えていたんですが、これがどれだけ甘い見通しだったか後で思い知ります。
・・・
1km地点。神戸大丸前。
応援に来ていた家族がここで待ち構えているとのことでキョロキョロしながら走っていきました。まだ周りが探せるほど元気です。すぐ横の南京町では獅子舞も応援してくれてました。
10km地点。須磨浦公園前。前回クォーターはここがゴール。
今回は当たり前ですがここで1/4。先長ぇ・・・
余談ですが、この直後に道路の真ん中で背広を着た方が声を贈ってくれました。
目の前まで気付かなかったのですが、よく見ると元・阪神の矢野輝弘氏!
昨年に続いての登場です!
(後で知ったのですがTV企画で下柳氏がクォーターを走っており、ゴール地点で待っていたようです)
ビックリして慌てて握手してもらいました。
ありがとうございます!これで気合いもらいました!
でも写真取り損ねたー!!
ここからはしばらく周りがJR側道と海だけの孤独な戦い。
写真もなく正直記憶があいまい。
ただやはり沿道の応援と拍手が力をくれました。時折チョコやあめなどを頂くのですがこれがウマイ!後半はずっと何か食べながら走ってた気がします。
18km付近の明石海峡大橋で折り返し、25km地点。再び家族の待つ須磨浦公園へ。
計算上は2時間半でここに来てるつもりやったんですが、すでに3時間オーバー。
この先から完全に未体験ゾーン。持病のひざ痛が急に強くなったように覚えています。また、この日は午前中に気温が上がったこともあり水をかぶりまくり。最後これが徒に。
27km付近の須磨水族園前で一度シューズの紐を解いて緩めに締め直し、思い切って5分程度ストレッチの時間をとってから再度スタート。水気と沿道から頂く食べ物と声援を胸に足を動かしますが、足の痛みが肩越しに頭まで響きだし15分程度走っては15分歩くといったペースになります。目もうつろ。
周りもそんな感じやったんでほぼゾンビの群れ。
でもカメラマンの撮影のときだけは走れる不思議。
・・・
35km地点。ハーバーランド前。三度家族と合流しラストスパートへ。
しかし、ここには浜手バイパスという神戸マラソン最大の難所があります。
人工島・ポートアイランドを結ぶ高架で高さは「最初の150mで10m上がる」との説明が。いわゆる心臓破りか。なんちゅうタイミングよ?
一方、その頃家族はといえば兵庫県マスコット「はばタン」と記念撮影。ヒマか。
約3kmのバイパスを上りきり神戸大橋へ。
ここからは神戸の港や名所が一望でき、あちこちで足を止めてカメラ撮影をしているランナーがいましたが、自分はといえば足の痛さが限界を超え数百m走ってはストレッチを繰り返すという始末。景色なんか見てられん。ゴール近くということもありスタッフの方々も多く、かなりの方から「走れますか?」と心配されました。申し訳ないポンコツで。
ポートアイランドに入り残り4km。午後からは一転気温が下がり、午前中に水を被りまくったお陰で若干身体の冷えを感じます。失敗した。しかし本当にラストスパート。歯を食いしばって走り続けます。
ゴール前に先回りしていた家族からの最後の声援を背におよそ5時間50分かけてゴールに駆け込みました。
・・・
人生初のフルマラソン。甘い期待と聞いてた充実感はそこには無く、直後に残ったのは体中の痛みと「もう走らんでいいの?」という安心感ばかり。嬉しさよりも倦怠感と悔しさが残ったレースとなりました。
それでも沿道から585,500人(公式)の応援があり、車いすのご老人や小さなお子さん含め、その中の何人もが自分に手を振ってくれハイタッチをし、声援を贈ってくれました。
また、応援の方々からだけでなく、協賛メーカーさんからも水やスポーツドリンク、軽食など配給頂いたお陰でガス欠にならず走りきることが出来ました。特に塩こんぶ。走る前はちょっとバカにしてましたがあんなにウマイとは!
これが味わえただけでも完走した意義があったかと思います。本当にありがとうございました!
・・・
で、続く2014年。懲りずに走ったわけですがそれは次の機会に。
2012年にクォーターマラソンを完走したのですが、それ以降は(前回のリレーマラソン置いといて)そこまでの情熱は湧き出てこず、忙しさもあってたまに夜中にランニングする程度に逆戻りしたある春の日。
少し魔が差します。
「もうちょっと長いの走ってみようか?」
この年の神戸マラソンに軽い気持ちでエントリーしました。
倍率も5倍前後(調べたら4.5倍)。前年当たっているだけに今回はムリだろうと若干高を括っておりました。ただ外れると恥ずかしいのでこの時点では誰にも言ってません。
・・・まさかの当選。
アカンアカン!やってもうた!どーするオレ?ムリムリムリ!
姉から「クォーター受かった~」とか脳天気なメールが。
知らんがな。こっちはそれどころやないっちゅうねん。
・・・
受かったものは仕方ない。やるしかない。
人間不思議と目標から逃げられないとなるとハラが固まるもんで。(未入金という手もありましたがせっかく当選したしね)
この日から5カ月かけてのトレーニングを経て、本番に挑むことになりました。
・・・
本番当日。
11月も中旬。周囲からの緊張感もあり雑踏の中にもキンとした空気が。
着替えを事務局に預け、前回は行かなかった市役所前へ。
ルミナリエの準備も進んでおり、今大会が震災復興の想いを乗せて開かれていることを再度思い出します。
予定通り9時スタート。甘い期待と大きな不安と共に走り出しました。
実は練習で20kmをほぼ2時間で走れるようになってきたこともあり、
「うまくいけば4時間半くらいで」
などと考えていたんですが、これがどれだけ甘い見通しだったか後で思い知ります。
・・・
1km地点。神戸大丸前。
応援に来ていた家族がここで待ち構えているとのことでキョロキョロしながら走っていきました。まだ周りが探せるほど元気です。すぐ横の南京町では獅子舞も応援してくれてました。
10km地点。須磨浦公園前。前回クォーターはここがゴール。
今回は当たり前ですがここで1/4。先長ぇ・・・
余談ですが、この直後に道路の真ん中で背広を着た方が声を贈ってくれました。
目の前まで気付かなかったのですが、よく見ると元・阪神の矢野輝弘氏!
昨年に続いての登場です!
(後で知ったのですがTV企画で下柳氏がクォーターを走っており、ゴール地点で待っていたようです)
ビックリして慌てて握手してもらいました。
ありがとうございます!これで気合いもらいました!
でも写真取り損ねたー!!
ここからはしばらく周りがJR側道と海だけの孤独な戦い。
写真もなく正直記憶があいまい。
ただやはり沿道の応援と拍手が力をくれました。時折チョコやあめなどを頂くのですがこれがウマイ!後半はずっと何か食べながら走ってた気がします。
18km付近の明石海峡大橋で折り返し、25km地点。再び家族の待つ須磨浦公園へ。
計算上は2時間半でここに来てるつもりやったんですが、すでに3時間オーバー。
この先から完全に未体験ゾーン。持病のひざ痛が急に強くなったように覚えています。また、この日は午前中に気温が上がったこともあり水をかぶりまくり。最後これが徒に。
27km付近の須磨水族園前で一度シューズの紐を解いて緩めに締め直し、思い切って5分程度ストレッチの時間をとってから再度スタート。水気と沿道から頂く食べ物と声援を胸に足を動かしますが、足の痛みが肩越しに頭まで響きだし15分程度走っては15分歩くといったペースになります。目もうつろ。
周りもそんな感じやったんでほぼゾンビの群れ。
でもカメラマンの撮影のときだけは走れる不思議。
・・・
35km地点。ハーバーランド前。三度家族と合流しラストスパートへ。
しかし、ここには浜手バイパスという神戸マラソン最大の難所があります。
人工島・ポートアイランドを結ぶ高架で高さは「最初の150mで10m上がる」との説明が。いわゆる心臓破りか。なんちゅうタイミングよ?
一方、その頃家族はといえば兵庫県マスコット「はばタン」と記念撮影。ヒマか。
約3kmのバイパスを上りきり神戸大橋へ。
ここからは神戸の港や名所が一望でき、あちこちで足を止めてカメラ撮影をしているランナーがいましたが、自分はといえば足の痛さが限界を超え数百m走ってはストレッチを繰り返すという始末。景色なんか見てられん。ゴール近くということもありスタッフの方々も多く、かなりの方から「走れますか?」と心配されました。申し訳ないポンコツで。
ポートアイランドに入り残り4km。午後からは一転気温が下がり、午前中に水を被りまくったお陰で若干身体の冷えを感じます。失敗した。しかし本当にラストスパート。歯を食いしばって走り続けます。
ゴール前に先回りしていた家族からの最後の声援を背におよそ5時間50分かけてゴールに駆け込みました。
・・・
人生初のフルマラソン。甘い期待と聞いてた充実感はそこには無く、直後に残ったのは体中の痛みと「もう走らんでいいの?」という安心感ばかり。嬉しさよりも倦怠感と悔しさが残ったレースとなりました。
それでも沿道から585,500人(公式)の応援があり、車いすのご老人や小さなお子さん含め、その中の何人もが自分に手を振ってくれハイタッチをし、声援を贈ってくれました。
また、応援の方々からだけでなく、協賛メーカーさんからも水やスポーツドリンク、軽食など配給頂いたお陰でガス欠にならず走りきることが出来ました。特に塩こんぶ。走る前はちょっとバカにしてましたがあんなにウマイとは!
これが味わえただけでも完走した意義があったかと思います。本当にありがとうございました!
・・・
で、続く2014年。懲りずに走ったわけですがそれは次の機会に。
2015年2月6日金曜日
ニューイヤーリレーマラソン
どうも。また2年ぶりにお鉢が回ってきました。
前回、1カ月にわたり神戸マラソンのお話をさせて頂いたのですが。それ以降、社内外で「走るヒト」のイメージがついてきたこともあり、今さら走るのを止められなくなっております。ホントはぐうたらオヤジです。ごめんなさい。
幸い2年もコラムをあけると「走る」ネタが貯まってきたので今回もその中からいくつかご紹介を。
・・・
クォーターを完走させて頂き、興奮も冷めやらぬ2012年12月。「せっかく少しは走れるようになったし、またどっかで走ってみよう」と思い立ち、前回登録した‘RUNNET’内をぶらぶらしてると、
「ニューイヤーリレーマラソン」の文字が。
1周500mのコースを何人かで合計21km走る、と。なるほど。
で、いつ? …1/3!
正月休みかぃ!まぁニューイヤーってあるし。
場所は? …神戸メリケンパーク
…… 帰省中やん。神戸におるやん。出来るやん。
というわけで、これに登録。
メンバーは、
前回クォーターに出損ねて「機会があれば走るんやけど」などとのたまう姉。
良かったな、機会が出来たぞ。
一応、現役でバスケを続けている弟。
ただし深夜バイトのまかないのため増量中。
自分。言い出しっぺ。
に、当時小3の長女とふだん一切運動しない嫁を加えた5人。
やや渋るふたりにウインドブレーカーを買い与えなんとか納得してもらいました。
配分(自分と弟で各8km、姉3km、嫁と長女で各1km)も事前に決め、いざ本番!
・・・
当日。正月明けの晴天。港沿いの公園のため、猛烈な海風にコースに置かれたコーンもとんでもないトコロへ飛んでいき生き物のようコースが変わります。
さぁレース日和だ。
トップを任せた弟。事前に
一.ペースの速いランナーにつられるな
一.最初に決めた配分はなんとかしてくれ
と言い含めてたのですが、見事にスタート直後のハイペースに釣られ2周半でバテ気味。4周(2km)でたすきをもらう約束が、「代わってくれ」とヘルプ。
やから言うたやないかい!こっちはまだアップしてないっちゅうねん!
結局、急遽たすきを受け取り寒空の中を駆け抜けます。キツー
この大会、実はこれが第1回だったこともあり家族参加だけでなくいかにも大学(社会人?)の陸上部経験者のランナー達が入り乱れ、時間が経つ毎にカオスな感じに。
ちなみに優勝したチームは8人程度で1周500mずつを順繰りに突っ走ってました。1周1分半。レベル違うわ。
そんなランナーを横目にマイペースで快走・・・とはいかず、何度もぶち抜かれつつ息も絶え絶え。確か6周して次にたすきを託しました。
そこからはタイムを気にすることもなく合計10kmを走り、チームの応援。また、他チームの子どもさんにも声を掛けながら、1:47′26″で無事完走。
順位はケツから2番目。気にしない。ガンバリマシタ!
・・・
残念なのは、それ以降、嫁も長女もリレーマラソンには興味を持ってくれなくなったこと。
理由を聞くと、よっぽど寒かったらしいです。
ウインドブレーカー買ったのになぁ…
前回、1カ月にわたり神戸マラソンのお話をさせて頂いたのですが。それ以降、社内外で「走るヒト」のイメージがついてきたこともあり、今さら走るのを止められなくなっております。ホントはぐうたらオヤジです。ごめんなさい。
幸い2年もコラムをあけると「走る」ネタが貯まってきたので今回もその中からいくつかご紹介を。
・・・
クォーターを完走させて頂き、興奮も冷めやらぬ2012年12月。「せっかく少しは走れるようになったし、またどっかで走ってみよう」と思い立ち、前回登録した‘RUNNET’内をぶらぶらしてると、
「ニューイヤーリレーマラソン」の文字が。
1周500mのコースを何人かで合計21km走る、と。なるほど。
で、いつ? …1/3!
正月休みかぃ!まぁニューイヤーってあるし。
場所は? …神戸メリケンパーク
…… 帰省中やん。神戸におるやん。出来るやん。
というわけで、これに登録。
メンバーは、
前回クォーターに出損ねて「機会があれば走るんやけど」などとのたまう姉。
良かったな、機会が出来たぞ。
一応、現役でバスケを続けている弟。
ただし深夜バイトのまかないのため増量中。
自分。言い出しっぺ。
に、当時小3の長女とふだん一切運動しない嫁を加えた5人。
やや渋るふたりにウインドブレーカーを買い与えなんとか納得してもらいました。
配分(自分と弟で各8km、姉3km、嫁と長女で各1km)も事前に決め、いざ本番!
・・・
当日。正月明けの晴天。港沿いの公園のため、猛烈な海風にコースに置かれたコーンもとんでもないトコロへ飛んでいき生き物のようコースが変わります。
さぁレース日和だ。
トップを任せた弟。事前に
一.ペースの速いランナーにつられるな
一.最初に決めた配分はなんとかしてくれ
と言い含めてたのですが、見事にスタート直後のハイペースに釣られ2周半でバテ気味。4周(2km)でたすきをもらう約束が、「代わってくれ」とヘルプ。
やから言うたやないかい!こっちはまだアップしてないっちゅうねん!
結局、急遽たすきを受け取り寒空の中を駆け抜けます。キツー
この大会、実はこれが第1回だったこともあり家族参加だけでなくいかにも大学(社会人?)の陸上部経験者のランナー達が入り乱れ、時間が経つ毎にカオスな感じに。
ちなみに優勝したチームは8人程度で1周500mずつを順繰りに突っ走ってました。1周1分半。レベル違うわ。
そんなランナーを横目にマイペースで快走・・・とはいかず、何度もぶち抜かれつつ息も絶え絶え。確か6周して次にたすきを託しました。
そこからはタイムを気にすることもなく合計10kmを走り、チームの応援。また、他チームの子どもさんにも声を掛けながら、1:47′26″で無事完走。
順位はケツから2番目。気にしない。ガンバリマシタ!
・・・
残念なのは、それ以降、嫁も長女もリレーマラソンには興味を持ってくれなくなったこと。
理由を聞くと、よっぽど寒かったらしいです。
ウインドブレーカー買ったのになぁ…
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