2022年9月30日金曜日

5回目ラスト。最後は地元・倉敷児島からみっつの城をご紹介

 

近年のコロナ禍にて年末年始の帰省が難しくなり、年末は走り納めを兼ね、長男を連れて下津井城へと向かうことに。片道ちょうど10㎞。

 

児島を貫く旧下津井電鉄の線路跡を南へ向かいます。自転車道として整備されていることもあり非常に走りやすい。通学路でもある長男からは「いつもの道」ってことで不評でしたが。

 

1時間ほど走って右手に見える瀬戸中央道をくぐるとすぐに下津井城を抱える丘が左手に見えるんですが、一度通り過ぎ電鉄終点の下津井駅跡まで駆け抜けます。


ここで折り返し、下津井集落の旧道沿いに町並み保存地区へ。途中から北側に折れ小学校脇を抜けて下津井城址へ登ることにしました。結構なつづら折りを黙々と、石垣に沿いながら天守跡まで上がります。標高は89mとのこと。

 

下津井城は海路の要衝である当地に古くからあった砦を、豊家五大老のひとりである宇喜多秀家が改修したのがその興りです。関ヶ原の後は岡山藩主の改易に伴い何度か城主を変えましたが、最終的には一国一城令により廃城。この時、直前に勃発した島原の乱の影響で石垣が念入りに壊されています(補修して立て篭もられるとメンドーだから)。


天守台は見晴らしよく、南側は下津井の集落が眼下に広がるだけでなく、遠く対岸の香川県まで見渡せました。

 

そしてこの南側、浄山と呼ばれる丘陵地に建立されている祇園神社は、源平合戦時には下津井古城があったことが知られています。


2021年はここから初日の出を迎えました。瀬戸大橋の向こうから上がる荘厳な光。


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さて、最後。

かつて児島がまだ島だった頃、北側の入江を睨む形で山上に築かれたとされる鼻高山城を訪ねます。

 

とは言え、情報はネットに少し見られる程度でホントにわずか。

Google mapを頼りに実際に探してみよう、と言うわけで6月の休日にランニング、というか徘徊開始(コロナ禍で外出が制限されていた時期はこんなことばっかしてました)。

 

家から幹線沿いに山を越え、川沿いにさらに北上。目的地近くに割に大きなお寺があることは分かったのですが、遠目に何となく場所は見えているもののうまく近付けず。何度か道を間違え、集落を横目に見ながらウロウロ探します。夜なら不審者。

 

ようやくここだろう、という農道を上がりお寺の裏手の駐車場の周りを確認すると、白木の標柱が3本立っています。

一番左側にありました!「鼻高山城跡」

(歴史保存会のご尽力の賜物)

どう見てもただの山道入り口ですが、ここから先がそうなんでしょう。

事前情報で鉄塔がある辺りが主廓とのこと。

一応、登ってみますが季節がら、緑が覆いこれ以上は進めませんでした。残念。

イノシシに出会う前に帰路に着くことにしました。


また出張に合わせて城郭だけでなく神社周りもしておこうと思います。

あぁそうだ、フルマラソンも新ネタ仕入れないと。

 

それではまた。

2022年9月23日金曜日

4回目。

ここまで行くと四国でまとめたかったんですが、写真が無かったりネタが古かったり。

ということで九州に渡ります。

 

看板にあるように季節は7月。シンポジウムの発表にて小倉に訪れました。

 

(隣の骨形態計測学会が気になる)

 

学会1日目の懇親会で結構しっかり呑んで少しアルコールの残る中スタート。発表もすでに済ませたので足は軽め。J R小倉駅の脇を抜け川沿いに北上すると、NHKビルの陰から小倉城を発見。この間わずか1kmちょっと。帰り足に立ち寄ることにして都市高速に沿ってこのまま西へ向かいます。

 

トラックの排気ガスと港湾独特のオイル混じりの潮の香り漂う産業道路を駆け抜け、適当に折り返して少し内陸に入って東へ。この時偶然「豊前国と筑前国の国境碑」を見付けたり、ちょっとした腹痛に襲われたりしたんですが、あまりに地味な話なので割愛。

 

城郭を正面に見据え、内堀を反時計回りに沿い南側から敷地内へ。遠目から見ると真っ赤な近代建築が背景となり天守と被るんやないか?と思ったんですが、大手門跡あたりから見上げると天守だけが空に映えてていい感じ。

 


小倉城は陸海の要衝として栄えたこの地に古くから築かれた砦を、毛利方が九州侵攻の出先として整備したのが始まりのようです。現在は周囲の埋め立て・開発が進んでいますが、当時は東手を流れる紫川の河口を利用した海城でした。

 

関ヶ原後に入城した風流人・細川忠興が大改築を施し瀟洒な天守を建造しましたが、明治維新の最中に焼失。現在の天守は戦後に再建されたものです。また、太平洋戦争中に軍司令部が置かれたこともあり、内部にはレンガ造りの正門跡や砲身車が残っていました。

 

北側の八坂神社にも立ち寄ろうと思ったんですが、通勤の方が増えてきたのでさっさと退散。スーツに着替えて2日目の発表を聴講し、帰路につきました。

 

9月は5週目あるのね。しまったネタが足りん。

2022年9月16日金曜日

 3回目。やはり愛媛県。宇和島城です。

 

宇和島は仕事の関係上、機会多くこれまでにも何度か走っており、調べてみたところ少なくとも5回は市内のあちこちを徘徊してました。一番最近は2月。夜明け前の曇り空の中スタート。時計回りに城山を周り東手の桜門から入ります。天守までの標高は74mですが、原生林のような鬱蒼とした山道の中、平石の不規則な階段を登ることになります。冬場だと真っ暗ですね。

 

登り切ると開けた平地の奥に天守が聳えます。


宇和島城は街中に盛り上がった丘の上に立つ平山城で、かつ周囲に海堀を巡らせた海城でもあります。古くは平安期、海賊・藤原純友に対する砦として築かれた板島丸串城を基として、藤堂高虎が建造を開始。その後、独眼竜政宗の長男である伊達秀宗が入城し、長くこの地を治めるための藩庁として機能しました。別名「鶴島城」

 

天守のある広場から西側に広がる宇和島湾が一望できます。

調査の無事を祈って黙礼。BGMはラジオ体操第一。

下ってからさらに外周を走りますが、宇和島城は南北に長い五角形をしており何度か角を曲がったところで方角が分からなくなります。なぜか毎回。なんとかホテルに帰り着き、お仕事に向かいました。

 

コロナ対策のため朝晩の食事もホテルの自室で済ませ、前後に大したエピソードもありません。仕方がないので最後に宇和島名物「たいめし」のご紹介。無限にイケます。




2022年9月9日金曜日

2回目。今回は同じく愛媛県の今治城


こちら…ではないです。これは某宮殿。焼肉焼いても家焼くな、のトコ。


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走ったのは8月。いつも通り夜明けの薄明かりの中、宿泊先のホテルからスタート。件の城はすぐ裏手なのでいったん逆方向へ向かいました。今治は大学時代からフィールドとして何度も訪れた街。20年以上行き来した道は馴染み深く、平地ということもあり非常に走りやすい。問題は暑さだけ。順調に折り返し、一路北上。

 

何度も目の前を通ってきたんですが、ちゃんと見たのは今回が初めて。

滞在時間は10分足らず。鉄御門から入って西側の門から内堀へ下ります。今でも海水がひかれているため、下を覗くとコイならぬクロダイが悠々と泳いでいました。たまにサメもいるそうですよ。

今治城の築城は遅く、関ヶ原の後。当時の宇和島藩主・藤堂高虎が当地を加増されことを機に普請した海城です。砂の吹き上がる浜近くに建っていたことから別名「吹揚城」。今回は叶いませんでしたが最上階まで登るとしまなみ海道が眺望できるそうで、海上交通の要衝を押さえる役割を担っていたことが分かります。

(これは北側の大島から。今治城は左側奥の霧の向こう)

…前日に飲みすぎたわけでもなく写真もあまり撮ってなかったので大したオチもなし。

毎回の如く、この日現場をこなし帰路につきました。

2022年9月2日金曜日

ども。2年ぶり、海洋の「走る」担当です。

 

年齢とともに朝に強くなる一方で体が言う事を聞かなくなってきた感があり、このパターンも後どれくらい続けられるか分かりませんが、とりあえず前回に引き続き、出張時の城址廻りがいくつか増えてきたのでご紹介します。

 

興味ないとか言うな。

 

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まず1回目は愛媛県八幡浜市にある萩森城

え?ご存知ない? ハイ、私も今回初めて知りました。

 

伊予・大洲城の西方の抑えとして置かれていた山城で、九州からの侵攻に睨みを効かせていたようですが、その後、秀吉の四国攻めに際し廃城となったそうです。

 

走ったのは4月の下旬。宿泊先のホテルからスタートし、いつも通りGoogle mapを頼りに山道を目指します。行き先は市街東方の丘、標高200m付近。自動車専用道路のI Cの隙間を横断し、みかん畑の真っ只へ。入っていいのかこれ?って感じ。


夜も明け周囲も開けていたため見通しも良く、直線距離だと大したことないんですが、軽トラ1台分しかない道幅のつづら折りを何度か繰り返すうちに方角がよく分からなくなってきます。たまにこういう山城って行き着けないまま終わるんですよね。

 

と、その時。浄水場の金網が見え、そのすぐ先、鎮守の森のような一角が。

それと示す看板と石碑があり、その奥に祠が見られました。

その時は気付きませんでしたが、後で考えると詰の丸?としては非常に狭い印象。調べてみるとどうも実際の城址は背後の山頂だったようです。



振り返ってみるとすぐに、八幡浜の街並みを一望できるポイントがありました。

港に続く目抜き通りや遠くには入江の入り口である諏訪崎も正面に見下ろすことができ、なるほど、ここに城を築くのは理にかなってるなぁと感心。

毎回の如く、この日現場をこなし帰路につきました。