2回目。今回はフルマラソンのお話。
2012年にクォーターマラソンを完走したのですが、それ以降は(前回のリレーマラソン置いといて)そこまでの情熱は湧き出てこず、忙しさもあってたまに夜中にランニングする程度に逆戻りしたある春の日。
少し魔が差します。
「もうちょっと長いの走ってみようか?」
この年の神戸マラソンに軽い気持ちでエントリーしました。
倍率も5倍前後(調べたら4.5倍)。前年当たっているだけに今回はムリだろうと若干高を括っておりました。ただ外れると恥ずかしいのでこの時点では誰にも言ってません。
・・・まさかの当選。
アカンアカン!やってもうた!どーするオレ?ムリムリムリ!
姉から「クォーター受かった~」とか脳天気なメールが。
知らんがな。こっちはそれどころやないっちゅうねん。
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受かったものは仕方ない。やるしかない。
人間不思議と目標から逃げられないとなるとハラが固まるもんで。(未入金という手もありましたがせっかく当選したしね)
この日から5カ月かけてのトレーニングを経て、本番に挑むことになりました。
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本番当日。
11月も中旬。周囲からの緊張感もあり雑踏の中にもキンとした空気が。
着替えを事務局に預け、前回は行かなかった市役所前へ。
ルミナリエの準備も進んでおり、今大会が震災復興の想いを乗せて開かれていることを再度思い出します。
予定通り9時スタート。甘い期待と大きな不安と共に走り出しました。
実は練習で20kmをほぼ2時間で走れるようになってきたこともあり、
「うまくいけば4時間半くらいで」
などと考えていたんですが、これがどれだけ甘い見通しだったか後で思い知ります。
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1km地点。神戸大丸前。
応援に来ていた家族がここで待ち構えているとのことでキョロキョロしながら走っていきました。まだ周りが探せるほど元気です。すぐ横の南京町では獅子舞も応援してくれてました。
10km地点。須磨浦公園前。前回クォーターはここがゴール。
今回は当たり前ですがここで1/4。先長ぇ・・・
余談ですが、この直後に道路の真ん中で背広を着た方が声を贈ってくれました。
目の前まで気付かなかったのですが、よく見ると元・阪神の矢野輝弘氏!
昨年に続いての登場です!
(後で知ったのですがTV企画で下柳氏がクォーターを走っており、ゴール地点で待っていたようです)
ビックリして慌てて握手してもらいました。
ありがとうございます!これで気合いもらいました!
でも写真取り損ねたー!!
ここからはしばらく周りがJR側道と海だけの孤独な戦い。
写真もなく正直記憶があいまい。
ただやはり沿道の応援と拍手が力をくれました。時折チョコやあめなどを頂くのですがこれがウマイ!後半はずっと何か食べながら走ってた気がします。
18km付近の明石海峡大橋で折り返し、25km地点。再び家族の待つ須磨浦公園へ。
計算上は2時間半でここに来てるつもりやったんですが、すでに3時間オーバー。
この先から完全に未体験ゾーン。持病のひざ痛が急に強くなったように覚えています。また、この日は午前中に気温が上がったこともあり水をかぶりまくり。最後これが徒に。
27km付近の須磨水族園前で一度シューズの紐を解いて緩めに締め直し、思い切って5分程度ストレッチの時間をとってから再度スタート。水気と沿道から頂く食べ物と声援を胸に足を動かしますが、足の痛みが肩越しに頭まで響きだし15分程度走っては15分歩くといったペースになります。目もうつろ。
周りもそんな感じやったんでほぼゾンビの群れ。
でもカメラマンの撮影のときだけは走れる不思議。
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35km地点。ハーバーランド前。三度家族と合流しラストスパートへ。
しかし、ここには浜手バイパスという神戸マラソン最大の難所があります。
人工島・ポートアイランドを結ぶ高架で高さは「最初の150mで10m上がる」との説明が。いわゆる心臓破りか。なんちゅうタイミングよ?
一方、その頃家族はといえば兵庫県マスコット「はばタン」と記念撮影。ヒマか。
約3kmのバイパスを上りきり神戸大橋へ。
ここからは神戸の港や名所が一望でき、あちこちで足を止めてカメラ撮影をしているランナーがいましたが、自分はといえば足の痛さが限界を超え数百m走ってはストレッチを繰り返すという始末。景色なんか見てられん。ゴール近くということもありスタッフの方々も多く、かなりの方から「走れますか?」と心配されました。申し訳ないポンコツで。
ポートアイランドに入り残り4km。午後からは一転気温が下がり、午前中に水を被りまくったお陰で若干身体の冷えを感じます。失敗した。しかし本当にラストスパート。歯を食いしばって走り続けます。
ゴール前に先回りしていた家族からの最後の声援を背におよそ5時間50分かけてゴールに駆け込みました。
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人生初のフルマラソン。甘い期待と聞いてた充実感はそこには無く、直後に残ったのは体中の痛みと「もう走らんでいいの?」という安心感ばかり。嬉しさよりも倦怠感と悔しさが残ったレースとなりました。
それでも沿道から585,500人(公式)の応援があり、車いすのご老人や小さなお子さん含め、その中の何人もが自分に手を振ってくれハイタッチをし、声援を贈ってくれました。
また、応援の方々からだけでなく、協賛メーカーさんからも水やスポーツドリンク、軽食など配給頂いたお陰でガス欠にならず走りきることが出来ました。特に塩こんぶ。走る前はちょっとバカにしてましたがあんなにウマイとは!
これが味わえただけでも完走した意義があったかと思います。本当にありがとうございました!
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で、続く2014年。懲りずに走ったわけですがそれは次の機会に。