2020年9月11日金曜日

城址廻り2回目。前回は山の上だったので今回は海城を。

大分日出町の日出城。別名を暘谷城(ようこくじょう)と言います。

なんだかカッコイイ!


別府湾の北側に位置し、関ヶ原後の1602年に木下延俊により興された日出藩の藩庁として築城。木下家と聞いてもピンと来ない方も多いのですが(私も調べながら書いてます)、明智光秀の盟友・細川藤孝の娘婿と言えばやっぱ分からん。


先に書いた通り南に別府湾を臨み、その海岸に湧く真水に洗われたマコガレイは〈城下カレイ〉と呼ばれ、むしろこちらの方が有名かもしれません。


ランニングで訪れたのは5月のまだ涼しい早朝。前日に飲み過ぎて胃が裏返りそうな中、わずか1km足らずのホテルから向かいました。JRの線路を越え、標識に従って進むと鬼門櫓の姿が。最初、これが天守かとも思ったんですが周りに堀も無く余りにも道路沿いにポツンとあるので、そのまま奥に見える堀に沿って時計回りに進むことにします。


西に進むとすぐに「町立日出小学校」の看板(後で調べると、明治維新に合わせて売り払われた様子)。早朝とは言え何となく酔っ払いが足を踏み入れるべきでは無いと感じ、そっと後退。

その横には銅像。帆足萬里と瀧廉太郎でした。瀧家は日出藩家老の血筋で、その菩提寺も近くにあるとのこと。

〈荒城の月〉も日出城のことか、とこの時勝手に得心(どうやら違ったようです)。

一方、「豊後の三賢」のひとりと言われる帆足萬里…ごめんなさい、知りません。また勉強しておきます。

そのまま石垣に沿って松林を抜け、南に向かい海岸線へ。ここまで全く酔いが覚めていなかったんですが、眼前に別府湾が広がり、足元に小さな定置網も見られた光景に少し気持ちが落ち着きました。


海岸から見上げるとなかなか壮観。天守が残っていればさらに迫力があったんでしょう。

今気付きましたが海撮ってなかったですね。


往復でわずか2.5㎞の道のり。アルコールもそこそこ抜け、その後、いつも通り調査を済ませ帰路に着きました。


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次回は沖縄。泡盛に散ります。