5回目ラスト。最後は地元・倉敷児島からみっつの城をご紹介。
近年のコロナ禍にて年末年始の帰省が難しくなり、年末は走り納めを兼ね、長男を連れて下津井城へと向かうことに。片道ちょうど10㎞。
児島を貫く旧下津井電鉄の線路跡を南へ向かいます。自転車道として整備されていることもあり非常に走りやすい。通学路でもある長男からは「いつもの道」ってことで不評でしたが。
1時間ほど走って右手に見える瀬戸中央道をくぐるとすぐに下津井城を抱える丘が左手に見えるんですが、一度通り過ぎ電鉄終点の下津井駅跡まで駆け抜けます。
ここで折り返し、下津井集落の旧道沿いに町並み保存地区へ。途中から北側に折れ小学校脇を抜けて下津井城址へ登ることにしました。結構なつづら折りを黙々と、石垣に沿いながら天守跡まで上がります。標高は89mとのこと。
下津井城は海路の要衝である当地に古くからあった砦を、豊家五大老のひとりである宇喜多秀家が改修したのがその興りです。関ヶ原の後は岡山藩主の改易に伴い何度か城主を変えましたが、最終的には一国一城令により廃城。この時、直前に勃発した島原の乱の影響で石垣が念入りに壊されています(補修して立て篭もられるとメンドーだから)。
天守台は見晴らしよく、南側は下津井の集落が眼下に広がるだけでなく、遠く対岸の香川県まで見渡せました。
そしてこの南側、浄山と呼ばれる丘陵地に建立されている祇園神社は、源平合戦時には下津井古城があったことが知られています。
2021年はここから初日の出を迎えました。瀬戸大橋の向こうから上がる荘厳な光。
---
さて、最後。
かつて児島がまだ島だった頃、北側の入江を睨む形で山上に築かれたとされる鼻高山城を訪ねます。
とは言え、情報はネットに少し見られる程度でホントにわずか。
Google mapを頼りに実際に探してみよう、と言うわけで6月の休日にランニング、というか徘徊開始(コロナ禍で外出が制限されていた時期はこんなことばっかしてました)。
家から幹線沿いに山を越え、川沿いにさらに北上。目的地近くに割に大きなお寺があることは分かったのですが、遠目に何となく場所は見えているもののうまく近付けず。何度か道を間違え、集落を横目に見ながらウロウロ探します。夜なら不審者。
ようやくここだろう、という農道を上がりお寺の裏手の駐車場の周りを確認すると、白木の標柱が3本立っています。
一番左側にありました!「鼻高山城跡」
(歴史保存会のご尽力の賜物) |
どう見てもただの山道入り口ですが、ここから先がそうなんでしょう。
事前情報で鉄塔がある辺りが主廓とのこと。
一応、登ってみますが季節がら、緑が覆いこれ以上は進めませんでした。残念。
イノシシに出会う前に帰路に着くことにしました。
また出張に合わせて城郭だけでなく神社周りもしておこうと思います。
あぁそうだ、フルマラソンも新ネタ仕入れないと。
それではまた。